子どもと教育の、今とこれから

言葉を発することは、
すなわち生きること。

湯峯 裕 教授

ますます重要視される言語能力の育成

自分で考えた後に他者や対象と比較し、疑問や展望を引き出して思いを巡らす。そして、他者とのかかわりの中であらためて自分を振り返る。一方的に教えるのではなく、子どものそういった内面の変化に注目した授業を今後は考えていかなければいけません。そんなときに、言葉が大きな鍵を握っています。人は言語化することで自分の変容をある程度コントロールできるのです。このプロセスは、次の学習指導要領で示された「主体的・対話的で深い学び」を実現する上でも欠かせません。学習指導要領においては、これまで以上に言葉の重要性が強調されており、中央教育審議会でも「言語能力の育成」が喫緊の課題として取り上げられています。

言葉によって感情が湧き出す

そもそも言葉とは、何かあるものを表現するための手段として存在するだけではありません。言葉を発する際、実はその人の心も同時に動いています。例えば、水平線の向こうにある太陽を朝日と言った場合と、夕日と言った場合とでは、同じ太陽なのに印象が全く違います。また、りんごと聞いてニュートンを思い浮かべた人と、アダムとイブを思い浮かべた人と、白雪姫を思い浮かべた人とでは、その感じ取り方はそれぞれ異なります。つまり、感情や想像を言葉にするだけではなく、言葉によって感情が湧き出てくるのです。言葉を発するという行為は、生きることそのものと言えるでしょう。これからは、そんな生きた言葉を発せられる教師を育てていく必要があります。深い学びを引き出すには「対話」が欠かせません。教員がどれだけ対話のある教室をつくり出せるかにかかっています。教員志望の学生らが「主体的・対話的で深い学び」を本学で体験し、それを今度は教師として子どもたちに実践していく。このようなサイクルを構築し、「言葉のチカラを育てる教師」を輩出していくことが私の使命です。

「師」として黙って導く役割

子どもたちは教師の姿を見て育ちます。その生き様に一番の学びがあるといっても過言ではありません。教師の「師」という語が表すのは、知識を与える存在ではなく、無言のうちにでも人を導く姿。教師には、「生きる力」を示す姿勢が求められます。そのため、教育には大きな喜びがあることを、実感を伴って理解した学生を育成したいと考えています。桃山学院の建学の精神は、「自由と愛の精神」です。自由とは気ままでよいという意味ではなく、常に他者に対する責任を伴っています。それが、一人ひとりの人格と主体性を大切にするということです。自分の生き様に責任を持てば、心にゆとりが生まれ、周囲の意見を柔軟に受け入れられます。そこに、他者と共に生きる喜びが芽生えるのです。これこそが「愛」であり、愛がなければ子どもを受け止められません。本学の学びを通し、自由と愛の精神を備えた素晴らしい「師」になってほしいと願っています。

私の歩み

高校2年生のときに受けた古典の先生の授業が面白く、国語の奥深さに気付きました。それまでは理学部でゴリラの研究でもしようと考えていたのですが、先生の影響で文学部に進学し、教員をめざすように。しかし、高校の国語教員として社会に出た当初は、生徒との折り合いが悪く、常に辞めたいと悩んでいました。そんなときに知り合いの方から「何でもすぐに諦める人は何をやっても駄目だ」と指摘され、目が覚めたのです。そこから、どんな生徒でも「良い部分」に目を向けて指導するように心掛けたところ、迷いがなくなり、仕事に夢中になっていきました。同窓会などで、かつて苦労した生徒が向こうから笑顔で挨拶してくれるときは、感慨深いものがあります。教員をめざす学生に意識してほしいのは、自分が指導する生徒が30年後には「社会の中心を担う」ということです。やりがいと責任感の両方を持って、歩み続けてください。

湯峯 裕
湯峯ゆみね ひろし
教授
略歴
兵庫教育大学大学院学校教育研究科修了、学校教育学修士。大阪府立高等学校校長、大阪府高等学校国語研究会理事長、大阪府高等学校視聴覚教育研究会会長などを歴任。専門分野は学校教育学、教師教育学、国語教育、キャリア教育、学校経営論。
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